これも改めて感じた事ですが,

 

やはり人間の"命"って すげぇ軽い なと実感します

 

自身のも含めて とても軽くて不確かなモノです。

 


丁寧に慎重に話すのも,人に伝えるのも気分がのらない限りは全てが

すべて本当に面倒くさい作業です

 

結局"有り、無し"って言えば,結論だけは必ず伝わりますし,そんな

タイプなのに"自身の領域外では良く頑張った方だと"思ったんですよね…

 

 

人の命は軽い


だからこそ,人生を使っては それを重くする必要性が在るし,その可能性

も限度も踏まえて心から大切にしたくなるし,見放したくもなる

 

だって人は受精した卵子から期間限定の肉体を借りて,その肉体を

終わりまで使っては人々の海で心と脳を鍛え込み,そして本当の"人間"と

呼ばれるに相応しい生き物となります

 

自身を含めて,三人以上 居無いと"間"なんて生まれません

 

それ故に"人間"と呼びます

 


その対象が増えれば増える度に高低差が生まれ,それが大きく鋭くなり,

それ故に 対する差異も対応も待遇の違いも全てが正しい事で,結局

誰々何々を取っては手放す選択肢も与えられて居る事から,

 

選ばれたのならば,それ相応に相応しい存在でなければならないの

だし,それが潰されないように逆に捻じ伏せられるように、圧倒的な

 "畏怖" の存在にならなければ ならないのでしょう。

 

選ばれなかった者の複雑な気持ちもよく分かりますが,だからと云って

落ちぶれたままで良い筈がありませんし,人に求めません

 

結局はその程度で,辛い事は私だけが歩めば良いんです

多様性な生き方で,修行僧のような生き方を選ばなくても良いんです

 


どんな人生を食べ歩み,どんな想いと共に在るのかを改めて体感して

行けば良いと思うし,全てがすべて 覚悟 がものを言うんだと実感して

居ます

 


貴方は どちらなのでしょう
私も どちらなのでしょう

 

 

 

 



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