14年間 使い続けて来た

イヤフォンが,とうとう終わりを迎えました

数日前の話しでも有るんですが,14年も連れ添った
相棒だったので,少しだけ気持ちが落ち込みました

形在るモノは全てが崩れ落ちる,地球の物質で造ら
れた以上,いずれかは地球に返さなきゃ なりません

だからこそ,新たな出会いが生まれ,そして その為に
崩れたモノと別れる循環


誰かにとっては"始まり"でも,誰かにとっては"終わり"
でもあり,そして その誰かにとっては"通過点"でしか
なかったりもします

交差する輪の交わりでしか,歩き続ける事が
出来無い私達には どれだけ"今"の積み重ねに因って
限り在る"未来"が減り続け,その残党の積み重ねが
"過去"へと嵩(カサ)を増(マ)して行くのだろうか,

将又逆に,水晶の如く、量が定められた"過去"から"今"
を通して,"未来"に嵩(カサ)を与えて居るのが正解なの
かも知れない

林檎の種を誰が植えたのだ,葡萄の種を誰が落とした
のだ

何を以てして"順行=過去"の証明が出来,何を以てして
"逆行=未来"だと理由づける事が出来るのだろうか


砂時計を回し続ける,回して落として壊して積み上げて
粒を上げ回すエンドレス

この粒でさえ,僅かな塵(チリ)でさえ,引力と共に主磁力
から来る重力に因って機能する方程式を

過去の私の思考と未来の私の思考と,そして今現在
私の思考との,その繋がりの流れは何処から始まって
は何処で止(トド)まるのだろうか,

将又 交差する輪の名の如く,始まりも終わりも無い
"ゼロ"を捻っただけなのか,ならば誰がそれを繋げて
曲げて創り上げたのだ

何故子宮で複雑怪奇な"脳"が造られ,"心"が目覚めるの
だろうか,女性体要素を"主"として,何を以てして"個"と
主張出来るのだろうか

何を以てして"過去"の真偽を問い,何を以てして"未来"
を証明出来るのだろうか


私は,感覚が漂って居ます

その漂った感覚から過去が切り離されて居て,理性が
私と共に居ます

自由な感覚が近づいては離れて行きます,そして
離れたかと思えば ぴったりと重なってたりもします

ふと思い出す事が有れば,物や言葉のキーワードで
部分的に思い出す事が唯々在ります


霧が濃くって,全貌も思い出せず,それすらも
"本当か嘘"かも分からない気持ちが度々起こります

なのに,過去の自身が思考した事は今でも側に在って,
結局は"感情"が切り離されて居るんだと思う

それでも今は 無理に一つにさせずに自由にさせて,
漂わせて居て,そう感じた自身を記録するように,過去
と変わらず同じ話を繰り返して居る

だからこそ,書き続けて来た新旧ブログの記録を消去
すれば,自身でも証明出来無い私の"過去"はゼロに
なる


そうすれば私の"色"とは何だろうか,着色されて居る
のか,将又脱色されて居たのだろうか,元々色づけされ
て無かったのか…

唯々身体の関係で,大病院での自身の記録が残って
居る事を主治医の先生に因って気づかされても,
誰もが私の人生や存在を"嘘"だと口を揃える

だからこそ,口を閉じる事を選んだ

ならば蝶のように居よう,ならば鳥のように居よう,
そのどれもが色の無い風の眷属だ

 

 

 



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林 由貴