植物を見る,

育ち,花咲き,そして実をつけるのには個人差が有れ
ども時間がかかり,種として また芽生える保障は
何処にも無くって,

その行為を"努力"と名づけるのならば,何故 人は
その努力の実りや価値を"他に"求めるのだろうか

自身の表現を高める為に,自身の価値を深める為に
思考し,苦悩し,行動し続けるのが"努力"の本当の
意味だと,ずっと そう思い続けて来ました

今でもそうで,洗練させる為に他の目を通して模索
する


でも,周りや一般論では違って居て,だからこそ
根腐れをし,人間の質を落とすのだと思う

それさえも選択の一つでしょうが…


植物を見て思う,腐るのも,手折れるのも簡単で,
手を加えずとも安易に浸食し,枯れては死んで行く

その真反対が死に目がけて成長し,役目を果たし,
務め続けて行く事なんだと,最近強く そう感じる

それは とても時間がかかる事で,それは とても
しんどい事で居て…


私は"努力"が嫌いだ,人の云うような"努力"が
嫌いだ

そして一番は"説教"が大嫌いだ,昔と変わらずに

何事も築き上げるのには時間が かかる,けれども
何事も"崩す"のならば簡単に終わる

信頼も信用も,積み重ねるのは時間が かかれども,
信頼も信用も失うのは一瞬で崩れ去る


そこに嘆くのは歪む元だと,幼い頃から そう感じ
てた

植物を通して それは強く思えて来て,脳と心が在る
"人"だからこその悩みだからでも在って,

意識する領域では無い,そんな事柄だったりもする

 

 

 



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林 由貴